我々ヨコモは競技用RCに特化したメーカーとして、長年オリジナルマシンの開発を手掛けています。私、広坂もこの「B-MAX4Ⅱ」の開発に携わっているのですが、とにかく現段階での我々のすべてが注ぎ込まれたフラッグシップモデルが、このマシンなんです。
どんな走りをしようが、操縦者の要求にきっちり応えてくれるマシンですが、ひとつ挙げるなら「ジャンプ後の着地のスムーズさ」が魅力ですね。私なりに表現するなら「しっとり感」。路面に吸い付くように、なめらかに着地&発進してくれます。低価格帯のRCカーでは感じることのできない、マシンに自分の意思が伝わっているかのようなドライビングが楽しめます。これこそがハイエンドマシンの醍醐味だと思いますね。
1970年京都出身。5才の時に両親からRCカーをプレゼントされたことを機に大会への出場を始め、7歳で初優勝、16歳で全日本チャンピオン、若干17歳で世界選手権優勝を達成(世界48ヵ国加盟)。その後、18年連続で世界選手権優勝を達成(日本選手権では21年連続優勝)。2008年メジャーレースからの引退を発表。現在は地方を含め数多くのRCレース、イベントに参加し、RCの楽しさを伝えている。フジテレビ「ほこ×たて」にて、「RCvs鷹」「RCvs猿」「RCvs釣り師」と過去3回出演。
先日の「ほこ×たて」出演の裏話をしますと、あの番組は本当に、事前に対戦相手などの情報が何ひとつ知らされないんですよ(笑)。だからこそ、どんな相手でも万全の状態で勝負に臨めるようにと、このマシンをセレクトしました。
これまでの話から、「上級者のスキルがないと操縦できないのでは?」と不安に思われる方もいらっしゃると思いますが、そんなことは全くありません。むしろ、性能が良いことは初心者にやさしいといえます。大変なカスタマイズをしなくても、そのままの状態ですぐに世界レベルの走りを楽しめますよ。また、実際のレースでは故障がつきものですが、だからこそ壊れても簡単に修理できるように設計してあります。
「B-MAX4Ⅱ」はレース仕様のモデルですから、やはりその本領を発揮するのはサーキットです。すべてが速く、確実な走りを存分に体感できると思います。
私が思うに、大人になると手が震えたり、何も聞こえなくなるほど興奮する瞬間はなかなかやって来ないですよね。ですが、サーキットでは心地良い集中を感じられるんです。未経験でも思い切って飛び込めば、かならず世界が広がります。スタッフや上級者によるアドバイスも受けられますよ。
また、各地で行われるグランプリなどのイベントも、ぜひ見に来てもらいたいですね。実車のレースでは不可能な、コース全体と全マシン、全ドライバーを一望できるのもRCならではの面白さです。たった数分間の戦いでも、ドライバー、観衆、すべての人間がその数分間に懸け、集中し、興奮し、熱狂する。私は、RCレースこそまさに「精神のスポーツ」であると思っています。
競技用RCに重点をおいた商品開発を得意とする模型メーカー。「レースの魅力を広く伝えたい」という想いより創業し、RCサーキットの運営やレースの主催など、RCの普及活動を積極的に行う。特にホームサーキットである「谷田部アリーナ」(つくば市)は、RC専用の全天候型サーキットとして4500坪の敷地内にオフロードコース2コース、オンロードコース2コース、ドリフトコース2コースを完備。その充実した設備により、「RCサーキットの聖地」として国内外より広くRCファンが集う交流の場となっている。
飛行機はそもそも機能美に長けたものですが、「戦闘機」はただ飛ぶだけでなく、スピードや空力性能、格闘・航続性能など、ハイレベルな要求が付加されます。そのすべてを叶えるために設計や技術レベルが向上した結果、自然と美しく洗練されたプロポーションが生まれるのでしょう。そんな機体の内部には、マシンとしての美しさ、整然とした構造の美があるわけです。
この「零戦二一型」は、外国機に比べて隔壁やフレームが緻密に作り込まれており、その繊細な構造そのものが美しいといえますね。組み立て手順も実機と同じ流れに近づけていますので、本物の零戦を作っているような気持ちで楽しめると思います。
ひとつひとつのパーツは「これが!?」と思うほど薄く、曲がりやすくなっています。ですが、そんな華奢なパーツが組み合わさり、一つの構造物の形を成すことで、信じられないほどがっしりと強靭なモデルへと変化を遂げるんです。家電や自動車の金属加工技術を応用しているんですが、組みあがったときの強度、密度、重みにはきっと驚かれると思いますね。
零戦の肝となる栄エンジンはメタルパーツを用いて組み上げていくのですが、完成後はずっしりと重たくなります。実機もエンジンがとても重く、両翼や機体は薄く軽く作られていて、エンジンに引っ張られるような状態で飛んでいたんです(笑)。完成した機体を手に乗せてみると、このことがはっきりと感じられるはずですよ。
『週刊 零戦をつくる』でのモデルは1/16スケールでしたが、今回はポピュラーな1/32スケールに仕上げたことで、より気軽に飾れるようになりました。デスクトップサイズなので場所を選ばず、ジオラマとしても楽しめる大きさです。また、スケルトンモデルであることが、零戦の持つ悲劇的なイメージを想起させずに「航空模型」としてのディスプレイを可能にしました。書斎のデスクはもちろん、知的さを演出するインテリアとしてリビングや玄関にも飾っていただけます。
金属製ということで敬遠されるかもしれませんが、プラモを組み立てられる方なら問題なく完成できます。プロペラやエンジンなどのメタルパーツは、ワイヤーブラシで磨き込むと簡単に見た目がグレードアップしますので、ぜひお試しいただきたいですね。
太平洋戦争において日本海軍の主力戦闘機となり、緒戦から終結までを戦い抜いた「零戦」。改良を繰り返した中でも印象的なのが、初の本格的な量産型として配備された「二一型」です。格闘性能を高めるために徹底的な軽量化を施し、3000km以上の航続距離や20mm機銃の重武装を活かして連合軍を翻弄しました。後に言う"零戦不敗神話"を築き上げたのが、この二一型なのです。
模型にさらなる楽しみを。伝説のマシン「Honda RA300」が自由度100%のジオラマキットで登場!ジオラマに仕立てることで「匂い」まで感じるというその魅力を、2人の模型職人にトコトン語っていただきました。
廣 美佐男 氏
株式会社モデルファクトリー ヒロ
レーシングカーの模型製作を中心とした工房を運営。インクス株式会社のブレーンとして「Honda RA300キット」を共同開発。
藤本 英樹氏
インクス株式会社
『週刊 零戦をつくる』モデル製作を担当。実績豊富なモデルメーカー各社が製作不可能としたモデルを、創意工夫と技術力を以て実現。
※写真、動画は試作品のため、お届けする商品と一部変更になる場合がございます。
ハセガワ本社屋上、航空自衛隊機F-104Jの前にて。
こうした艦船モデルでは、基礎となる船体をしっかり組み立てることが重要となります。アールを歪めず、きちんと合わせることが綺麗に仕上げるポイントですが、これくらいのサイズになると我々でも難しい(笑)。そのため船体には内部桁構造を採用し、十数ヶ所の桁を差し込むことで強度とフォルムを保ちつつ、どなたにも手間なく組み立てていただけるよう考慮しました。
また、プラモでは異例ですが、船体パーツはこれまでにない大きさになるため、一般工業製品と同じ開発方法を採っています。金型の製作前には、成型時の樹脂の流れ方や収縮、肉厚の程度を調べるため、コンピューターで解析を行いました。奔走の甲斐あって、高い完成度と組み立てやすさを両立させたモデルに仕上がったと思います。
こうした艦船モデルでは、基礎となる船体をしっかり組み立てることが重要となります。アールを歪めず、きちんと合わせることが綺麗に仕上げるポイントですが、これくらいのサイズになると我々でも難しい(笑)。そのため船体には内部桁構造を採用し、十数ヶ所の桁を差し込むことで強度とフォルムを保ちつつ、どなたにも手間なく組み立てていただけるよう考慮しました。
また、プラモでは異例ですが、船体パーツはこれまでにない大きさになるため、一般工業製品と同じ開発方法を採っています。金型の製作前には、成型時の樹脂の流れ方や収縮、肉厚の程度を調べるため、コンピューターで解析を行いました。奔走の甲斐あって、高い完成度と組み立てやすさを両立させたモデルに仕上がったと思います。
最も有名な戦艦「大和」は、巨砲による爆風から乗組員を守るための措置として、艦橋が箱状に覆い隠されていますよね。だから内部の構造が外からはわからないんです。「長門」の面白さは、その艦橋がむき出しになっているところ。組み立てながら「実際はこの中に人がいて、こうやって船を動かしていたんだ!」という、当時の乗組員の動きや息づかいを感じられます。
本モデルの設計には、実際の「長門」の設計図をトレースしたものを元にしています。通常、車や飛行機を模型化する際には見栄えを重視して若干のデフォルメを施しますが、多くの人が乗り込む"船"の模型化では、できるだけ忠実な比率でスケールダウンするんです。だからこそ、実際の人の動きや当時の空気まで再現できる。模型に命が吹き込まれて、いきいきと呼吸を始める感覚を、ぜひ一度味わっていただきたいですね。
日本の戦艦として人気の高い「大和」と「武蔵」。この両艦は当時の敵国はもちろん、国民にも極秘で建造されていたため、戦後までその存在を知らずにいた人も多かったと言われています。逆に「長門」は、二番艦の「陸奥」と並んで日本の海軍力を誇示するための広報活動に重用され、戦前のかるたにも『陸奥と長門は日本の誇り』と詠まれていました。連合艦隊旗艦を長く務め、司令長官の山本五十六が座乗していたことからも、戦前から戦中の日本で最も国民に親しまれた戦艦だったと言えます。
また、「長門」は終戦まで稼動可能な状態で生き残った唯一の日本戦艦です。敗戦後は米軍に接収され、原爆実験の標的となり、最期を誰にも看取られることなく静かに沈没しました。今も日本からはるか南、マーシャル諸島のビキニ環礁で、在りし日の面影を残したまま静かに眠っています。
「長門」の大きな特徴である艦橋は、中心に大きな柱があり、6本の支柱が支える構造。これは「櫓檣(ろしょう)」と呼ばれ、欧米列強海軍の注目の的となりました。約3万メートルの射程を誇る41センチ主砲を搭載するため、主砲指揮所、観測所、戦闘艦橋などを高い位置に設ける必要があり、非常に複雑かつ独特な形状となりました。この"高さ"のため、艦橋に指揮官用エレベーターを取り付けた最初の戦艦でもあります。また、櫓檣上部には日本初の基線長10メートルにわたる大型測距儀が装備されています。
この年に始まった近代化工事では、主砲の仰角を30度から43度に引き上げ、45口径八九式41センチ連装砲に換装。これにより砲戦距離が大幅に増しました。防御面では水中防御に重点が置かれ、舷側には巨大なバルジを装備。さらに21基あったボイラーは全て重油専焼缶となり、長年国民に親しまれた屈曲煙突は姿を消しました。重量は約6千5百トン増加しましたが、速力はなお25ノットで航行することが可能でした。
こうして「長門」は公試排水量4万3千5百80トンの全く新しい戦艦として生まれ変わり、ほぼこの姿で開戦を迎えました。
本商品には、「宗谷」本体と付属のミニチュアを飾れるディスプレイスタンドと各種プレートがセットになっています。
航行中の砕氷シーンから船体の62度の傾きまで、様々なシーンの再現をお楽しみいただけます。
「海面プレート」使用。人や犬のミニフィギュア・各種ミニチュアを配置して、南極接岸時の感動のシーンが再現できる。
「氷海プレート」使用。ディスプレイスタンドや船内に発光ギミックが搭載され、夜間の航行シーンも再現可能。
航行中に「宗谷」が経験した62度の船体の傾きも再現できる。
終戦から十余年の昭和31年。焼け野原の復興期を経て科学技術の時代に入った日本が、国際社会への復帰を賭けて挑戦したのが、世界各国で進められた「国際地球観測年」の南極観測事業でした。そこで白羽の矢が立ったのが、耐氷構造を持つ旧日本海軍特務艦「宗谷」。戦後、灯台補給船になっていた宗谷には、政府予算に加えて子供たちを中心に集められた寄付金1億4500万円が投入され、戦艦「大和」の設計者・牧野茂の下、短期間で改装が施されました。そして同年11月、国民の期待を一身に背負った宗谷と第一次南極観測隊は、南極プリンス・ハラルド海岸を目指し、晴海ふ頭を出港。
数々の苦難を乗り越え、翌年1月に"奇跡"と呼ぶべき偉業、南極大陸到達を大成功へと導いたのでした。