「はやぶさ2」プロジェクトの情熱に触れる
関係者特別インタビュー!!

応援人編

東京大学名誉教授
宇宙科学研究所名誉教授
林 友直 氏

多段式ロケットの苦心からスイングバイ技術まで
「はやぶさ2」へと連綿と受け継がれる
科学技術のDNA!

日本の宇宙開発の父・糸川英夫氏とともに、日本の宇宙開発の黎明期を支えた林氏。本プロジェクトに寄せて、宇宙開発の幕開けと奮闘、宇宙科学史上最大規模の国際協力作戦であったハレー彗星探査、そして「はやぶさ2」への期待を伺った。

―― 林さんはどのように宇宙開発に関わられたのでしょうか?

私が育ったころは、そもそも世の中に「宇宙開発」の影も形なかったので、志を立てて進んできたわけではありません。宇宙開発に関わったのは、本当にたまたまなんです。
私は1950年に東大工学部の電気工学科を卒業し、卒業後は大学院に行き、その後は理化学研究所や東大の本郷で電子工学を研究しました。1955年には糸川先生がペンシルロケットの研究をスタートし、10年くらいかけてだんだんと性能を良くしていってきたそうですが、そのときまだ私は糸川先生との面識はありませんでした。国分寺や千葉、秋田の道川で実験をおこない、人工衛星も夢じゃないというところまで進展していたころです。1964年に、のちに改組してISAS(JAXAの前身)となる、東大宇宙航空研究所(以下、宇宙研)が発足しました。そこで糸川先生に「宇宙ってのはロケット屋だけじゃダメなんだ。ぜひ電気工学分野にも協力してほしい」と声をかけられ、私も1965年に宇宙研に入ったんです。

―― その後、すぐにロケットや人工衛星の開発に関わられたのですか?


日本初の人工衛星「おおすみ」。

そうですね。ところが実験を始めてみると、失敗が多くてたいへん苦労しました。  人工衛星を宇宙に放出するときは、多段式ロケットを上昇させるとともに、姿勢を徐々に傾け、ロケットが地平線にほぼ平行になったところで人工衛星を放出します。こうすることで地球の引力と地球の外側方向への遠心力が釣り合い、人工衛星が地球周回軌道上を周回するようになります。
しかし、当時もすでに3段ロケットでしたが、まず切り離しのときの姿勢制御がうまくいきませんでした。姿勢を安定させるには、コマの原理で(ロケットの軸に)スピンを与え、回転させなければいけないのですが、そのあたりの技術が不十分でうまくいきませんでした。さらにそれが改善したあと、次に起きたのは、切り離しの際に前段が次の段に追突してしまうという問題で、これは切り離した前段の燃えカスのくすぶりに原因がありました。
このように切り離しや追突と、合わせて5回ぐらいの失敗を重ねましたが、NASAに視察に行くなどし、その間に知恵がついてきて、L-4Sの5号機というロケットで、日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功しました。1970年のことです。
それからは、L(ラムダ)ロケットからM(ミュー)ロケットに切り替えたこともあり、着実に人工衛星の打ち上げに成功し、宇宙研も実力をつけていきました。これは「おおすみ」での成果なしにはできなかったことだと思います。

――そのあとのお仕事で印象に残っているものはありますか?

M-3SⅡロケットで打ち上げた「さきがけ」と「すいせい」です。地球周回軌道ではなく、地球の重力圏を脱出して太陽を周回させるという計画でした。この計画は時期に恵まれたこともあり、1986年に来るハレー彗星を宇宙で観測することをめざして、1984年くらいから準備をはじめました。
さらにこれは国際的な計画となり、日本の2機とともに、アメリカはISEE-3を転用したICE、ESAは「ジオット」、ソ連は「ベガ1号」「ベガ2号」の計6機の探査機を向かわせる、「ハレー艦隊」と呼ばれる壮大なプロジェクトとなりました。
この計画でよい成果を上げられたことももちろんありますが、1986年というとまだ米ソ冷戦の時期でしたので、そういう意味でも歴史的な出来事となりました。研究者を100人近く集め、成果の報告会がイタリアのパドヴァ(※1)で開催されました。さらにその後、ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世がバチカン宮殿に招待してくださって、科学のための国際的一致協力に対して謝辞までいただきました。

――「すいせい」「さきがけ」以降、「はやぶさ」「はやぶさ2」に代表されるような小惑星探査には関わられましたか?

直接は関わっていません。しかし、「はやぶさ」「はやぶさ2」に用いられている、姿勢制御や軌道決定、スイングバイ技術の基礎を築いた工学実験衛星「ひてん」(MUSES-A)(※2)のミッションも担当していました。この技術は、「はやぶさ」のみならず現在の「はやぶさ2」にも十分に生かされています。「はやぶさ2」の成果もとても楽しみですね。

――ご自身のお仕事が、現在「はやぶさ2」がチャレンジしているような生命の起源に迫る活動まで発展することは想像されていましたか?

いやいや、これほど遠大な計画につながるとは思っていませんでした。しかし宇宙というのは、森羅万象を含んでいるものですから。ハレー彗星に関しても、1910年にはせいぜい望遠鏡で観測できるくらいでした。時間とともに大きく技術が進歩を遂げれば、やれることもガラリと変わってくるでしょう。1986年の計画の際には「次のハレー彗星飛来時には、ハレー彗星の上に降り立つことができるかもしれない」と言っていた人もいたようですが、この可能性もゼロではありません(笑)。

――「はやぶさ2」の成果で具体的に楽しみにされていることはありますか?

まだ何が見つかるかわかりませんが、「はやぶさ」が行った小惑星イトカワで見つかったものとは、ひと味違ったものが見つかるといいですね。小惑星リュウグウは、イトカワとはまた別の種類の天体のようですから、センセーショナルなものでなくとも、何か新しい発見があればおもしろいですね。

――「ハレー艦隊」は国際協力のミッションでしたが、「はやぶさ2」もMASCOTの搭載や、NASAなどのアンテナを融通してもらうなど、国際協力でミッションに臨んでいる側面もあるそうですが?

国際協力は非常にいいことだと思います。きっとどの国も宇宙に関心をもっているはずですし、ギクシャクしている国や、発展途上国とも協力関係を築いて、宇宙探査に臨んで欲しいですね。
探査に限らず、ISSなどでもまだまだできることはあると思うので、各国の研究者が集まり知恵を出しあって、宇宙の研究や宇宙技術の利用を友好的に進めていけると素晴らしいと思います。

用語解説
※ 1
イタリアのパドヴァ:中世のイタリア人画家ジオット・ディ・ボンドーネがハレー彗星を壁画に描いた、スクロヴェンニ礼拝堂がある都市。ESAのハレー彗星探査機「ジオット」はこの画家の名前に由来している。
※ 2
工学実験衛星「ひてん」(MUSES-A):スイングバイ実験機として、月や惑星探査などに必要な軌道制御技術を習得するために打ち上げられた工学実験衛星。
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