「F1マシンコレクション」第12号
シーズン
ホンダRA300―ジョン・サーティース
1967年、ホンダは世界のモータースポーツのビッグネームになるべく全力を尽くした。だが、サーティースの才能がきらめきを見せたものの、結果は期待はずれに終わった。
1967年、ホンダは世界のモータースポーツのビッグネームになるべく全力を尽くした。だが、サーティースの才能がきらめきを見せたものの、結果は期待はずれに終わった。
テクノロジー
ホンダRA300
RA273からの大きな変更点は、ジョン・サーティースのビジネス・パートナーであるエリック・ブロードレイが製作した新しいアルミニウム製モノコック・シャーシだった。
RA273からの大きな変更点は、ジョン・サーティースのビジネス・パートナーであるエリック・ブロードレイが製作した新しいアルミニウム製モノコック・シャーシだった。
レーシングチーム
ホンダ・レーシング
ホンダのレーシングチームは、自動車メーカーになってわずか3年でF1に進出することを決め、短期間で1965年、1967年と2度の優勝を果たした。
ホンダのレーシングチームは、自動車メーカーになってわずか3年でF1に進出することを決め、短期間で1965年、1967年と2度の優勝を果たした。
サーキット
ロングビーチ・ストリート・サーキット(アメリカ)
数回のコースレイアウト変更をしながら1976年から1983年まで、アメリカ東GPと共にカリフォルニア州ロングビーチでアメリカ西GPが開催された。
数回のコースレイアウト変更をしながら1976年から1983年まで、アメリカ東GPと共にカリフォルニア州ロングビーチでアメリカ西GPが開催された。
ヒストリー
1961年 フィル・ヒル、笑顔なき載冠
フェラーリ156がシーズンを席巻したこの年は、アメリカのフィル・ヒルとチームメイトのドイツのウォルフガング・フォン・トリップスの一騎打ちになった。
フェラーリ156がシーズンを席巻したこの年は、アメリカのフィル・ヒルとチームメイトのドイツのウォルフガング・フォン・トリップスの一騎打ちになった。