「F1マシンコレクション」第6号
シーズン
フェラーリ312T2―ニキ・ラウダ
1976年シーズンの中盤に大きなアクシデントに見舞われたラウダが、翌年のF1に完全復活した。彼は周囲の嘲笑を一蹴し、自らの能力を見せつけた。
1976年シーズンの中盤に大きなアクシデントに見舞われたラウダが、翌年のF1に完全復活した。彼は周囲の嘲笑を一蹴し、自らの能力を見せつけた。
テクノロジー
フェラーリ312T2
フェラーリ312T2には、1976年初めには前輪を保護するフェアリングがついていたが、FIAから違法と判断され実戦では採用されなかった。
フェラーリ312T2には、1976年初めには前輪を保護するフェアリングがついていたが、FIAから違法と判断され実戦では採用されなかった。
レーシングチーム
スクーデリア・フェラーリ
フェラーリの長い歴史のなかでも有数の多難の年となった1973年、シーズン終了後に移籍してきたラウダは当初からプロ根性と懸命さを評価されていた。
フェラーリの長い歴史のなかでも有数の多難の年となった1973年、シーズン終了後に移籍してきたラウダは当初からプロ根性と懸命さを評価されていた。
サーキット
カタルーニャ・サーキット(スペイン)
モンジュイック・パークの公道を閉鎖して行われた前回のグランプリから16年経過した1991年、F1がバルセロナに戻ってきた。
モンジュイック・パークの公道を閉鎖して行われた前回のグランプリから16年経過した1991年、F1がバルセロナに戻ってきた。
ヒストリー
1955年猛威を振るったメルセデス、突然の撤退
スターリング・モスが加入したメルセデスと対等に渡り合えるのはアルベルト・アスカリとランチアしかいなかったが、アスカリが死亡したことで勝負の歴史は変わった。
スターリング・モスが加入したメルセデスと対等に渡り合えるのはアルベルト・アスカリとランチアしかいなかったが、アスカリが死亡したことで勝負の歴史は変わった。